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2009/02/28

クロアチア旅行記|二日目。ドゥブロヴニク。城壁バリアフリー。

2009年2月14日深夜~15日
 22時30分にザグレブを発車したバスは、10時間後の到着を目指して夜闇に沈んだクロアチアを縦断していく。僕は右側の席を陣取り、バスの揺れと浅い眠りに身を委ねていた。客の乗降で目を覚ますごとに、暗闇の中でも車窓の風景は少しずつ変化しているのがわかった。
 やがてバスが海沿いの道に出る。海はもちろん黒く塗りつぶされていたけれど、ひとたび街灯が光の粒を垂らすとどこまでも透き通った。僕は夢うつつでそんな光景を眺めていた。
 ふと目を覚ますと、いつの間にか空が明るくなり始めていた。僕はポケットから『地球の歩き方』を取り出して、ドゥブロヴニクのページを読むともなく眺めた。ドゥブロブニクに入るにあたって、僕には不安な要素があった。それはドゥブロブニクの宿についてである。
 クロアチアには、宿泊施設として“SOBE(ソベ)”或いは“プライベートルーム”というものがある。これは一般家庭が空き室を宿泊場所として提供するもので、政府により認可された制度である。一般的なホテルに泊まる気のさらさらない僕にとって、このSOBEが宿泊の第一候補となる。
 だが、このSOBEについての情報があまりに少ない。まず、『歩き方』に場所が載っていない(これは一般家庭であるという事情があるのかも知れない)。また場所も乗っていないので当然値段も載っていない。
料金は、訪れる町や季節、バスやトイレがプライベートか共同かなどで大きく異なっている。
A34 地球の歩き方 クロアチア/スロヴェニア 2008~2009 (地球の歩き方)
そして一番不安なのが、以下の情報である。
アドリア海沿岸部のドブロヴニク、スプリットといった有名な観光地に到着すると、プライベートルームの客引きが待ち受けている。旅行者がバスやフェリーから降り始めると、初老の女性らがいっせいに寄ってきて、「ソベ」「プライベートルーム」と声をかけてくる。
(同上)
実は、僕は客引きという人種が凄い怖い。2004年に初海外旅行でインドに一人旅をした際に、客引きにだまされてぼったくられた甘酸っぱい想い出があり、それ以来のトラウマなのだ。因みにそのときに学んだ、胡散臭い客引きの特徴を以下に列挙するので、皆さんも気をつけて欲しいと思う。
・やたら車に乗せたがる
・車に乗ると別に運転手がいる
・必要以上にフレンドリー
・日本人の写真やメッセージを見せてくる
さて、今回はやってくるのが“初老の女性”ということなので、腕力では引き分けぐらいには持ち込めそうだが、初老の女性に囲まれる光景を想像するとまた別の恐ろしさがある。氷川きよしの偉大さを思わざるを得ない。

 途中、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの国境をまたぐためパスポートチェックを受け、バスがドゥブロヴニクに着いたのは、2月15日の朝8時だった。ザグレブから約9時間半の道のりである。
 バスを降りる前に僕はもう一度気持ちを引き締めた。客引きはとりあえず無視して、バスターミナルでこの街から出るバスの本数を概ね把握し、一息ついてから客引きの話を聞く。その時に必要なのは、『歩き方』のアドバイスにある通り。
交渉するときは地図を示して場所と料金を確認し、まずは部屋の様子を見たいと伝えよう。
(同上)
荷物が肩にかかる感触を確かめてバスを降りると、吹き付ける朝の冷たい風に思わず身を硬くした。だがその冷たさも、あっという間に僕の周りを取り囲んだ客引きたちの熱気により吹き飛ばされてしまった……はずだったのだが、事実は異なっていた。初老の女性云々ではなく老若男女どの取り合わせにしても人がいない。バスにいたまばらな乗客が行ってしまうと、僕は一人そこに取り残されてしまった。
 僕は客引きに囲まれなかったことに安堵するよりも、なんだか恥ずかしさを感じてしまった。「バスターミナルで客引きに囲まれる自分」を想像していたことが、「原宿に行けばスカウトされる」的な勘違いだった。僕はまだこのとき、「但し冬は除く」の原則を理解していなかったのだった。

 朝の冷え込みとあいまって、こうまでニーズのない自分自身に僕は寂しさすら感じていた。そうしてしばし途方に暮れていて、一人の女性が近づいてくるのにも気付かなかった。その女性は40歳くらいの赤髪で、手に一枚のプレートを持っていた。そこにはこう書いてあった。
SOBE
ACCOMMODATION
OLD CITY
僕は待望の客引きに出会えたことが嬉しくて、明らかに書いてある「Accommodation?」という無駄な質問をした。そしてその問いに彼女が頷くと、バスの時刻表を見ることも忘れて彼女の後について行った。
 彼女が導く先には一台の車があり、そこに乗り込むと運転席に一人の男性がいた。
 「Hi! I`m Mr.Ivo. Hello my friend!」
 やたらとフレンドリーなその男は僕の手を強く握り締めた。
 車は走り出した。行き先を僕は知らない。

 Mr.イヴォの運転する車はドゥブロヴニク市内を恐らく順調に走っていく。行く先を知らないので何とも言えないが。そして僕は今更ながらに宿の場所や値段を尋ねている。
「旧市街から近い?」
「Yes!スゲェ近いよ、マイフレンド!」 
「一泊いくら?」
「それは何泊するかによるね。ドゥブロヴニクにはどのくらいいるんだい?」
「二、三日くらいかな。まだ決めてないけど。」
「Uh..Good!」
 値段についての会話がなぜか、"Good!"で完結した。
 その他“イギリスのガイドブックに載っている”、“日本人も沢山泊まった”、“明石海峡大橋は大地震でも壊れなかった。マジ凄いよ”等々の不要な情報を与えられているうちに車は停車。止まった場所は旧市街沿いの車道。確かに近い。
 駐車場沿いの道を入って二階に上がると、政府公認の証、青地に白文字で"SOBE"とある、イヴォ氏ご自宅へ到着。キッチンでコーヒーをご馳走になりながら、ようやく値段交渉。
 二泊する旨を伝えると、
「OK.二泊で70ユーロだ、マイフレンド。すげぇ安いよ!夏は一泊で50ユーロだからね。」
 一泊35ユーロ。約4,000円位というこの値段が高いのか安いのはさっぱりわからない。しばし考えたあげく、そもそもユーロを持っていないことに気が付いたので、
「クーナではいくら?」
「えぇと、1ユーロは7.5クーナだから……」
 紙とペンを取り出して計算を始めるイヴォ氏。こちらはただでさえ相場がわからない上に7.5という係数の妥当性もわからずに置いてきぼり状態。
「…525クーナだ。OK.ディスカウントで500クーナだ。」
 よくわからないうちに値引きしてもらい、結果一泊250クーナになったが、結局妥当な値段なのかは不明なままである。
 ここでの正しい対応は、一旦保留し、他の宿を見て回って相場を把握することだろう。それはわかっている。だが、旧市街近くまで載せてもらった上に、コーヒーまでご馳走になっている引け目がある。更に悪いことに、このコーヒーがやたら美味い。できればもう一杯ご馳走になりたいところだ。
 しばし逡巡した後、もう相場のことなど考えるのを止めた。純粋に自分の価値観としてこの金額が納得できるかどうかを考えることにし、僕は宿泊を決めた。そして、コーヒーのお代わりをした。

 最初に着いてしまったので感慨は浅めだが、ドゥブロヴニクは僕のクロアチア旅行における目的地である。世界遺産でもある美しい街並みを見てみたいと思い、極東から遠路はるばるやってきた次第だ。
 では、世界には他にも美しい街が数多くあるにもかかわらず、なぜクロアチアのドゥブロヴニクなのか。どうしてパリやミラノやウィーンではいけなかったのか。
 その理由は僕の年齢にある。パリやミラノは歳をとってからツアーでいつでも行くことができる。だが、クロアチアはそうではない。ツアーで訪れることのできないような国を、若いうちにできるだけ多く見て回りたいから、僕は今この地を訪れているのだ。

 そんな思いを抱きながら、僕はこのドゥブロヴニクで、日本人ツアー客に頼まれて写真を撮っている。
「はい、いいですかー。はい、チーズ! 一応もう一枚撮りますねー。行きまーす。はい、チーズ!」
「ありがとう。お兄ちゃん、一人で来たの? 大変ねぇ。」

 僕は苦笑いを浮かべ、カメラを渡す。団体のツアー客に踏まれて粉々になった僕の夢想を見つめながら、今やツアーで行けない場所なんて殆ど存在しないことを知る。と言うよりも、年齢で旅行先を限定するなんてナンセンスだ。幾つになっても人生を楽しむべきだと僕は思う。

 それはさて置き、僕は団体ツアー客以外は人もまばらなドゥブロヴニクの街を歩き始めた。ドゥブロヴニクは、アドリア海に飛び出た「出島」(元大関ではない方)のような形をしており、周囲を城壁で囲まれている。外部に開かれているのは、三つの門と一つの港のみである。
 この門について、『歩き方』にロマンチックな写真が載っている。キャプションを紹介すると、
伝統的なコスチュームを身にまとい、ドブロブニクの門を守る衛兵
写真には、伝統衣装をまとい、槍のような武器を手に持った衛兵の姿が映っている。勘の良い人ならお分かりかと思うが、ここでも「但し冬は除く」の原則が適用される。そこに衛兵はいません。守ってなんかいません。
三つある門の一つ、“ピレ門”※手前にいるのは衛兵ではありません。

 衛兵の有無はさて置き、ドゥブロヴニクを歩き始めるにあたっておすすめなのが、まずは城壁の遊歩道を歩くことだ。この町をぐるりと囲む城壁の上は遊歩道になっており、この上から、壁の内側に広がるオレンジ色の美しい屋根と、外側に広がる透明のアドリア海を望むことができる。




 ただし、この城壁に上るためには、心臓破りの階段を登る必要がある。

 当然エレベーター等もない。バリアフリーとはほど遠い状況に、「配慮がなっていない」とお怒りになる方もいらっしゃるかも知れない。だが、そこは斟酌する必要があるだろう。なぜなら、バリアフリーにした時点でそれはもう城壁ではないのだから。

 城壁の上から見るドゥブロヴニクの街は、オレンジ色の屋根が印象的だが、実際に街中を歩いてみると、その街並みはセピア色をしている。正直セピア色は言い過ぎだが、色味を抑えられたレンガの色と、中世の面影を残す建物の造りがそう思わせる。中世のことは良く知らないけれど。


 メインストリートであるプラツァ通りと幾つかの広場を除いて、建物の間隔は狭く、幾つもの小路が街中を縦横に走っている。無類の小路好きである僕としては、片っ端から入らざるを得ない。
 小路に入ると、この街が人々の生活の場であることを実感する。それにしても洗濯物すら絵になるのはうらやましい限りである。
IMG_0018



フランスワールドカップの再戦を

城壁に囲まれたこの街において、三つの門と一つの港のみが外に開かれていることはどこかに書いたが、その港には多くのボートが停泊している。
吸い込まれそうな海。吸い込まれるわけにはいかないが。

 当初、これらのボートは全てどこぞの金持ちが所有しているリゾート用かと思っていたが、そうではないらしい。あるときに港を通ると、丁度一隻のボートが港を出発し、魚を取りに行く所であった。ただ、その漁の仕方は非常にざっくりしたもので、港から数十メートル出たところで、網を垂らしてそこらへんをしばらく走っているだけであった。ひょっとしたら網を洗っているだけなのかもしれない。

 ともかく、港の近くであれば、魚介類が旨いのは道理である。と言うよりも、ドゥブロヴニクに限らず、クロアチアは魚介類が非常に旨い。これは内陸部のザグレブでも同様であった。僕がクロアチア滞在中主食にしていたのは、昼はシーフードリゾット、夜はイカ墨のリゾットであった。
 特にイカ墨のリゾットが旨い。イカの柔らかさが尋常ではなく、生前はさぞ体の柔らかいイカであったであろうことが推察された。
昼の主食。

夜の主食。