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2011/04/27

バルト三国旅行記(9/9)|終わりを告げる音。

2011年1月22日(土)
 9日間のバルト三国縦断旅行もついに終わる。最終日の朝は7時に目が覚めた。気づけば同部屋になっていた、男3:女1のバックパッカーズを起こさないように、そっと部屋を出る。男女のカップルはひとつのベッドで寝ているけれど、料金はきっと人数分かかっているのだろう。
 シャワーを浴びて、ヒゲを剃る。部屋に戻り、荷物をまとめて不用品を部屋の隅にあるゴミ箱に捨てる。今回持ってきたもののうちで不要だったものは、結局使わなかったトイレットペーパーと気分が沈みすぎるので読めなかった『アンダーグラウンド』だ。『アンダーグラウンド』は当然捨てず、日本に帰ってから読んだ。読書にもTPOがあるものだ。
 帰りのフライトは11時30分発のヘルシンキ行きだ。空港へは鉄道駅から列車で10分ほどなので、まだ時間がある。共同スペースへ行き、インターネットでアジアカップの結果を確認する。日本が退場者を出して、そして勝つ。アジアカップの日常風景だった。

 しばらくパソコンをいじっていると、ソファーで寝ていたオヤジがむくりと起きて話しかけてきた。オヤジはスウェーデンから来たらしく、年は40代~50代であごにはチリチリのひげが散らかっている。オヤジは僕が日本人だと知ると、日本人が感情を押し殺すことと高い自殺率に関連があるという、ありがちな説について熱弁してくれた。
 オヤジは一通り日本人論について語り終えると満足し、
「今から寝るよ。」
 と言うと、なぜか着ていた革ジャンとズボンを脱ぎ、皮ジャンの袖に足を通しはじめた。そして、
「長さが足りねぇなぁ。HAHAHA」
 と一人でウケたあと、一発の放屁を残して眠りに就いた。
 そんなオヤジが残した放屁の音は、いつまでもバックパッカーでいることに対する警鐘のようにずっと僕の頭の中に残っていた。

 9時前に宿を出る。さらば「JIMMY JUMPS HOUSE」。清潔でよい宿だった。
 外は昨晩から引き続き雪が降っていた。バックパックを背負って駅まで歩き、7番ホームの空港行きに乗る。




 社内はとても綺麗。リトアニア最後の食事は、スーパーで買ったキビナイだ。



 電車は9時50分にものすごくゆっくりと走り出し、ようやくスピードが出てきたと思った矢先、10分弱で空港駅へ到着。空港駅はホームが短く、周囲に何も無いので、電車が停まるまで駅だとは気づかなかったほどだ。
 ヴィリニュスの空港は予想の範囲内の小ささだった。カウンターでチェックインの列に並ぶ。周囲はスキー板やスノーボードを持った人たちがほとんどだ。リトアニアのスキーヤーはフィンランドを目指すらしい。


 チェックインを終えたあと、搭乗前の手荷物検査で今さらホッカイロが危険物の疑いをかけられる。ホッカイロについて聞かれてもとても説明する自信はない。
「これは何だ?」
 と聞かれても
「ah..ホット……ホット……」
 と元気のない藤井隆のような答えしかできないだろう。いっそのこと捨てて欲しかったけれど、リトアニア人が協議した結果、結局OKが出た。そう言えばカイロも全く使わなかったなぁ。
 出発ゲートをくぐると、免税店へ行き、低コスト&低リスクのお土産、チョコレートを購入する。買っておいてなんだけれど、空港で買うチョコレートのお土産と、両面フル印刷の年賀状は無い方がましな場合も少なくない。

 11時すぎに搭乗開始し、11時40分ごろヴィリニュスの大地を離れる。
 さらば、バルト三国よ。

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