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2017/08/01

新婚旅行記|バックパッカー、自分で全て手配をした新婚旅行へ行く。

 時は2013年。縁あって新婚旅行に行く機会に恵まれたので、その記録をここに記したい。(事前準備については、「バックパッカーが新婚旅行を自分で手配した時の話」を参照)
これまで旅行記で書いてきた一人旅のときは腐るほど時間があるため、そのときの行動や心情をMDノートに書き留めている。さすがに新婚旅行では、「暇があるとノートに何やら書き込んでいる夫」は怪しすぎるのでそうはしなかった。
 そして4年の月日が流れている今となっては、幾分表層的な記載にならざるをえない点はご容赦いただきたい。

 2013年9月7日。僕と妻とふなっしーは成田空港で飛行機の出発を待っていた。
妻は当然のごとくスーツケースに荷物を詰めているのに対し、これまで人生でスーツケースを保有したことのなかった僕は、使いなれたバックパックを背負ってこの空港へとやって来た。
 今になって思えば、夫がバックパックで現れる新婚旅行について、妻がどう感じるかを少しは配慮すべきだったという気がするけれど、もう4年も前なので今となってはどうすることもできない。

 10時35分に成田を出発したKL0862便は、15:00に経由地のアムステルダムに到着。そこからKL1243便でパリへ向かい、シャルル・ド・ゴール空港に到着したのは同日の17:40だった。
 電車でパリ市内へ移動する。
日本から予約していた「HOTEL COURCELLES ETOILE」にチェックインして荷物を置いた後、シャンゼリゼ通りに繰り出す。
凱旋門の厚みを確かめているうちに、新婚旅行の初日は終了した。

 翌日、ルームキーパー対して日本らしさを感じさせるべく、紙で箱を作ってそこにチップを入れてみる。(効果の程は不明)

 この日は朝イチでルーブル美術館へ。
 敷地内にあるLe Café Marly de クロワッサンを食べて朝食にする。
オープンと同時に入場する。



 朝イチだったので「モナリザ」は空いてたけれど、それにしても柵から絵までの距離が遠過ぎて、あまり視力が良くない僕にとってはスフマートどころの騒ぎではなかった。
 「モナリザ」をはじめ有名な絵画や、サモトラケのニケやミロのヴィーナスといった彫刻が数多くあり、それらも素晴らしかったけれど、この作品(名前は忘れました)で表現されたベッド(?)の質感には度肝を抜かれました。これが石なのかと。

 美術館を後にして、途中、レンタサイクルを駆使しつつオペラ座へ。
「装飾できるところは全部やってやった」という職人の充実感がうかがえる。


 オペラ座近くのカフェで一休み。カタツムリと肉を食べます。味は覚えていないけれど、パリの物価に打ちひしがれた記憶があります。(ワインを飲んだら一万円を超えた)


 パリの街を散策。
 新婚旅行なので、モンマルトルにある「ジュテームの壁」に行ってみたり。

 Bercy Villageというおしゃれな再開発スポットに行ってみたり。

蚤の市的な場所に行ってみたり。

 ノートルダム大聖堂くんって、結構ウラオモテがあるんだなと感じたり。


 大聖堂の敷地内にある木は角刈りにされていると知ったり。

そうこうしているうちに、二日目も終わったのでした。

 翌朝、ホテル近くにあるカフェで朝食を取る。

 いったんパリを離れるので、ホテルをチェックアウトする。
 エッフェル塔に旅立ちの挨拶を。

 これから、電車で南下してロワール地方の街、トゥールへと向かう。

 ロワール地方は多くの古城が残っているので、新居探しも兼ねて幾つかを巡ってみる。
 駅前のツーリストセンターに行き、古城巡りのツアーに申込みをした。

 最初の物件はユッセ城。築580年。
『眠れる森の美女』のモデルになったといういわれがあるだけあって、快適そうな寝室には好印象。
庭付き。

 2軒目の物件はランジェ城。築1,000年。(※増改築あり)
築年数が古いので、耐震性に不安はあるけれど、街に隣接しているため、日々の生活には至便。

 下見はこれまでにして、トゥールの街に戻る。
 レストランのテラス席で、バケツいっぱいのムール貝を食べる。ピントが合わなかったのはきっと白ワインのせい。

 今宵の宿、Château de la Bourdaisièreへ移動。何を隠そう、城に泊まるためにパリから一時間かけてロワール地方までやって来たのである。

 ツアーで見て回った城の内装も良かったけれど、やはり人が生活している空間にはどこかしら華やかさや生命力がある。
 こちらはおそらく談話室。

 朝食用のダイニングスペース。 

 なぜか部屋の写真があまりなかった。

 城に転がるバックパック。

 洗面台が二つあるので、何かと忙しい朝の時間でも安心。
 ここもなかなかの良物件でした。

 翌朝。朝食前に広い敷地内を散策する。




 朝はパン。

 広い庭を散策する。



 花が素晴らしく咲き誇っていた。




 城をチェックアウトして、パリに帰るために駅へ。

 事前に調べていたパリ行きの列車を電光掲示板で探すけれど、表示されていない。
 窓口でチケットを買おうと思ったのだけど、担当者が英語を話せないようで、今ひとつ要領を得ない。しばらくやり取りしていると、隣の窓口の女性が助け船を出してくれた。
 「Strike.」
 なんとストライキで運休らしい。人生で初めてストライキを体感。まぁ彼らなりに思いがあって実行しているので良しとしよう。
 次のパリ行きの電車はいつか聞くと「4時間後」とのこと。というわけで、駅前のカフェに入り4時間待機することに。

 そして4時間後、来たときの倍、2時間かけてパリに戻る列車がやってきた。

 パリに戻る車中での話題は、過ぎ去った時間のことではなく、これからのことだ。
 予定では今夜、Elipsosという国際寝台列車でバルセロナへ向かう。万一、この列車までストライキの対象になっていたら、今夜の宿も、バルセロナへの移動手段も失ってしまう。
 心配症の奥さんはそのことをひどく気に病んでいたけれど、楽観主義者の僕は大丈夫だと信じていた。Elipsosはそれなりのお値段(390ユーロ)を払っているし、何しろ国をまたいで運行しているのだから、フランス国鉄もおいそれとは運休できるはずがない。

 2時間後、パリの駅に到着。何よりもまずElipsosの運行有無を確認するためにInfomationの窓口に並ぶ。
 そして窓口の女性が満面の笑みで伝えてくれた。
 「その列車は運休だよ。あちらの窓口で払い戻しと振替をしてもらってね。メルシー。」

 日本において、人身事故で発生した遅延に対して、被害者というべき駅員がなぜか謝罪させられている光景を思うと、目の前でまばゆい笑顔を放つ女性がとても同じ職業とは思えない。
 しかも今回はストライキなので、彼ら自身が引き起こした運休にも関わらずだ。(彼らにすればストライキを起こさざるを得なかったという言い分があるのだろうけれど)

 我が母国の鉄道マンには同情を禁じえないけれど、今は極東での労働環境より先に、目の前にある自身の問題を解決する必要がある。
 言われたとおりに別の窓口に並ぶ。当然のことながら、とても長い行列ができており、これも長い戦いになりそうだ。

 見たところ、窓口は8つほどあるようだけれど、現状人がいるのは半分の4つだけだ。前述の通り列は長い。そして事情が事情だけに、早口でまくし立てていたり、ひどく嘆き悲しんでいたり、一人ひとりの応対時間がとても長い。中でも一人のおばちゃんがずっと窓口に食らいついており、稼働しているのは実質3つだった。
 更に、しばらくすると、空いていた窓口は2つに減っていた。恐らく定刻になったから退勤したのだろう。なんとも羨ましい労働環境。一時間半後にようやく訪れた自分の番で、何よりもまずフランス国鉄は採用を実施しているかを聞きたかった。

 窓口で、明日の朝一番にバルセロナへ向かう列車のチケットに振り返られて、元々予約していた寝台列車との差額分が返金された。窓口の男性は丁寧に金額の内訳を説明してくれたけれど、正しいのかどうかはよくわからなかった。
 何より、今日のホテルをどうすればよいのかと聞くと、バウチャーを渡され、これを見せればホームに停まっている列車に泊まれるそうだ。
 日本から予約した時点では、今夜はバルセロナへ向かう寝台の一等車で過ごすはずだったのに、気づけばホームに停まってどこにも行かない列車で夜を迎えていた。
 疲れ果てた僕らは駅近くのレストランで夜食を取ったものの、ただでさえ気落ちしているのに、頼んだマトン料理の臭みがひどく鼻について、さらに沈んだ気持ちで動かない列車に帰ったのだった。(これ以降、今に至るまで妻はマトンが苦手になってしまった)

 翌朝、朝イチの列車でパリを出て、6時間後にバルセロナに到着した。

 色々あったけれど、結果的にバルセロナに辿りくことができた。ホテルにも無事チェックインできたし、これからはきっといいことばかりなのだろう。
 街を歩いてみると、みんな見慣れない色の国旗を掲げて歩いている。この日は9月11日で、Diada Nacional de Catalunyaというカタルーシャ州の祝祭日であるそうだ。


 見どころ満載のバルセロナを効率よく攻略するために、まずは郊外にあるグエル公園から攻める。



 そして、サグラダ・ファミリアへ。

 腐海の下に広がる世界のようでもあり。


 昆虫のようでもある。

 カサ・ミラへ。築100年。フランスの城も良いけれど、こちらのほうが市街地で暮らすには便利そうだ。管理費と修繕積立金の金額が気になる。



 途中、奥さんは事前に調べていたLUPO BARCELONAなるメーカーのバッグを買って、昨晩すっかり失っていた笑顔を取り戻していました。
 夕食はタパス。フランス国鉄の悪口をつまみにサングリアを飲んで過ごしました。


 翌日はあてもなくバルセロナの街を散策する。
 小洒落たお店でご飯を食べたり。



 アイスを食べたり。

 ピカソ美術館に行った後に、4GATSという(理由は忘れたけれど)有名なカフェでお茶をしたり。

靴を買ったり。

 市場に行ったり。

 バルセロナを満喫しているうちに夜となり。気づけば新婚旅行も最期の夜(翌日の飛行機で帰国)となり。
 最後の夜はピンチョスと過ごしたのでした。


 楽しかったなぁ。バルセロナ。

 翌朝。一週間の新婚旅行も最終日。
 「全て夫が手配した」という不安要素満載の新婚旅行についてきてくれた奥さんを労わずに終わるわけにはいかない。
 そこで、奥さんが寝ているうちにそっとホテルを抜け出し、近くにある花屋(昨日のうちに目星をつけておいた)で花束を買う。
 そして奥さんのもとに忍び寄り、寝起きでサプライズのプレンゼントにした。(奥さんのリアクションは割愛)

 13:15にバルセロナ発のKL1672便で、経由地のアムステルダムへ。パリ~バルセロナ間で色々とトラブルのあった新婚旅行だったけれど、本当に楽しくていい思い出になりました。旅行中に出会えたすべての人に感謝します!(フランス国鉄を除く)

終わりじゃないぞよ
もうちょっとだけ続くんじゃ

 経由地のアムステルダムで、成田へ向かう飛行機を待っているときに、アナウンスが流れた。どうやら搭乗予定だった飛行機が故障したとのことで、出発が遅れるようだ。
 元々成田へは日曜日の11:55着予定であったため、少々の遅れであれば翌日の仕事にも障りはない。
 結局飛行機が出発できる状態になったのは、定刻から3時間ほど過ぎてからのことだった。やたら待ち時間の多い新婚旅行だ。
 ほっとしたところで、追加のインフォメーションが告げられた。予定していた航空機の故障により、代わりのものを手配したけれど、元の航空機より小さいため、全員が乗ることはできないという。
 そして、乗れるどうかは、これから搭乗手続きをする際に発表するという。何なんだその演出は。

 結果発表の列に並びながら、我々の立ち位置を客観的に眺めてみる。席はエコノミー。KLMは初めて使うので、お得意様でもない。老人でも、子供連れでもない。どこからどう見ても落選候補だ。
 頼れるのは自分の運のみ。ということで、いよいよ列の先頭に出て結果発表。

 あえなく落選。
 「振替の便がどうなるかは知らんから、別のカウンターに行って聞いてこい」との温かい言葉をいただく。(ちょっと前にパリで同じようなセリフを聞いたことあるような)
 重い足取りで案内されたカウンターへ行き、振替の便を手配する。与えられた選択肢は、二つ。成田への直行便だけど、出発は翌々日。もしくは、出発は翌日だけど、なぜか中国経由の便。
 奥さんと相談して、選択したのは後者。乗り換えは面倒だけど、「とにかく帰りたい」という気持ちを優先した。


 出発便が翌日になったので、KLMが手配したホテルに宿泊することに。
 その説明の一環で、今回の不都合に対する補償(600ユーロのキャッシュか、800ユーロのTravel Credit Voucher)を別途請求できることが伝えられる。
 そしてOne More Thingとして伝えられたのが、「搭乗手続きで預けた荷物は取り出せない」ということだった。

 つまり、奥さんはスーツケースに入った荷物を今日から明日のフライトまで一切使うことができないということだった。
 さすがにこの点は、他の被害者もかなりクレームをつけていたけれど、担当者のおばちゃんは「何時間もかかるからできない。」の一点張りだった。
 幸か不幸か、バックパッカー根性が染み付いていた僕は荷物を預けておらず、背中に全ての装備を背負っていたため、これで何とかやりくりしてみることになった。

 予定外のアムステルダム泊で一番の敵になったのは寒さだった。
 バルセロナより、パリよりも緯度が高いアムステルダム。部屋は寒いのに、奥さんの服がない。僕のバックパックからありったけの服を取り出して、奥さんに着せる。首周りが寒いと言うので、最終的には僕の靴下を首に巻いていた。
 その夜、iPhoneでメールをチェックしていると、KLMからメールが届いていた。
件名:KLM 便の評価をお願いいたします 
 このたびはKLM をお選びいただき、 09/14/2013の バルセロナ Barcelona (BCN) 発 アムステルダム, スキポール空港 Amsterdam Schiphol (AMS) 行きKL1672にご搭乗くださり、誠にありがとうございました。お客様にご満足いただくことは当社のサービスにおける中核となるものです。そこでお客様のご意見をお伺いいたしたく、アンケートにご協力をお願いいたします。

 翌日。新婚旅行の延長戦。
 夕方のフライトまで時間があったし、このまま無為に過ごすのももったいないので、アムステルダム市街に出る。ガイドブックもなければ、下調べもしていなかったので、かなり手探りだ。

 列車とトラムを乗り継いて、ゴッホ美術館にたどり着いた。ただ、芸術作品を愛でるには色々と疲れすぎていたようだった。(入口の写真すら撮っていない)
 その後、少し街を散策してから空港へ向かった。

 中国へ向かう機内は中国語が飛び交っていた。
 彼らの多くはきっと目的地が母国なのだろう。羨ましい限りだ。
 ひどく長いフライトの末に廈門高崎国際空港に到着した。ここが群馬高崎国際空港だったらどんなに良かっただろう。ただ、そうではない以上、多少なりとも前進したことを評価するしかない。

 ところで、この便に乗る前に、念を押して確認したのは、荷物の扱いについてだった。取り出すことを許されなかった奥さんのスーツケースが正しく届くのか不安だったためカウンターで聞くと「経由地では荷物の受取は不要」とのことだった。
 しかし、一連の対応でKLMを信じる心を失っていた僕は、一応荷物受け取りのベルトコンベヤを見てみることに。
 すると、案の定流れてくる奥さんのスーツケース。KLMを信じていたら、荷物を中国に置いたまま成田へと向かうところだった。迷子になっていた我が子を保護するような気持ちでスーツケースを抱きとめた僕らは、経由するだけなのになぜかいったん中国に入国し、そして小一時間過ごしたのち、また出国した。

 そしてついに、日本への帰国を果たしたのであった。

 色々とトラブルのあった新婚旅行だったけれど、本当に楽しくていい思い出になりました。旅行中に出会えたすべての人に感謝します!(フランス国鉄とKLMを除く)

 おしまい。

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