このブログを検索

2017/08/11

チェコ旅行記|四泊五日のプラハ・サンドイッチ(プラハ、チェスキー・クルムロフ、クトナー・ホラ)

序文

今から遡ること9年。チェコ旅行の記録をきちんとまとめていなかったので、当時の写真とメモを元に改めてここに記しておくことにした。
 写真を見ても建物の名前を覚えていないことも多く、WikipediaやGoogleで何の写真か調べながら書いていると、自分がパクリ……もとい、キュレーションサイトのライターになったような気持ちになる。
 旅行当時からずいぶん時間が空いており、意図の有無にかかわらず現在の視点で再構成されていることは言うまでもないけれど、ここに掲載している写真も文章も全て自分で撮影・執筆したものであることだけは明言しておきたい。

本文

2008年2月12日。AirFranceのAF279便は、午前9時30分に成田空港を出発した。
途中、2回の機内食を挟む。AirFranceの機内食はおいしい(ノースウエスト航空との相対評価)。シャルル・ド・ゴール空港に到着したのは13時間後。現地時間で14時15分のことだ。


ここでAF4902便に乗り継ぐ。本来は1時間半ほどの待ち時間だったはずが、出発が遅れる。目的地であるプラハのルズィニエ空港に着いたのは夜になってしまった。

 入国手続を済ませて、現地通貨を調達したら、路線バス119番と地下鉄を乗り継いで、プラハの中心部へ向かう。夜の路線バスはかなりスリリングであったけれど、無事に到着することができた。


 日本から予約していた「Attractive Penzion Prague」というなんとも魅力的な名前の宿にどうにかしてたどり着きチェックイン。街の中心(カレル橋)に至近で、フロントもとても親切だ。
 長旅で疲れもあったけれど、夜のプラハを少しだけ散策してみる。オレンジ色の光で照らされた石畳の陰影がとても美しくて、明日からの街歩きへの期待が大きく膨らんだ。



 翌日。Attractive Penzionの朝食は部屋で提供してもらえる。簡素だけれど、十分。ポットで提供されるコーヒーは多すぎて飲みきれない。

 街歩きを開始。あいにくの空模様だ。

 まずは何と言っても、プラハ城だろう。カレル橋を渡ってお城を目指す。前述の通り天気は悪いけれども、「もや」が逆に歴史ある市街地に味のある雰囲気をかもし出している。と自分に言い聞かせることも可。


 衛兵のいる門をくぐって、プラハ城内へ。受付の兄ちゃんがなぜが日本語ペラペラだった。

プラハ城の広大な敷地には、城はもちろん、複数の教会や塔が存在している。そのうちの一つである聖ヴィート大聖堂をまずは攻略してみよう。

  このステンドグラスはミュシャが手がけたものだそうだ。確かにスラブ叙事詩魂を感じる。

 次いで、同敷地内の正イジー聖堂へ。
 ブレブレだったので写真は割愛するけれど、丸天井に書かれた絵が美しかった。
 少し体が冷えてきたの、「ホット・ワイタ」で体を温める。

 ところで、プラハと言えば、フランツ・カフカである。彼が仕事場として利用していたという家が、プラハ城内の黄金小路(昔、鋼の錬金術師が住んでいたことに由来するらしい)という場所にある。
 この青い家がそうだ。自分へのお土産としてカフカの『城』を購入したけれど、チェコ語で書いてるため、本当に『城』であるかどうかは不明。

 プラハ城を後にして、トラムを駆使しつつ、あてもなくぶらぶら歩く。


 

 「パパのおててはどうしてそんなに長いの?」「それはね……。」

 「ねぇねぇ。これ、食べてるか戻してるかわかる?」

 やがて日も暮れて、街頭に灯がともり。

 眠りに就いたのでした。

 翌日、朝6時に宿を出て、地下鉄を乗り継いで、プラハ本駅へ向かう。


 前日のうちにプリントアウトしていた列車の時刻を窓口で見せつつ、チケットを購入した。目指すのは世界遺産の街、チェスキー・クルムロフ。

 7時11分プラハ発の列車は、途中チェスケーブディヨヴィッツを経由して、11時28分にチェスキー・クルムロフに到着する予定だ。
 

 車内はコンパートメントになっており、快適。動画を撮って「世界の車窓から」気分を味わおうと試みるも、世界の車窓は思ったより汚れていたため挫折。



 チェスキー・クルムロフの駅から、バスで市街地へ。市街地のバス停から世界遺産である旧市街までは、親切な地元のおばちゃんが連れて行ってくれた。
 この日の宿は予約していなかったので、観光案内所で探してもらい、Hotel Zlaty Angelに泊まることにする。


 街を歩く。旧市街はチェスキー・クルムロフ城を中心に、ごく狭い範囲にまとまっている。まずはお城へ。



 冬季ということで、城内の展示室などはほぼしまっていたけれど、お城で飼われている熊は観ることができた。

 お城を出た後は、恒例のあてもない街歩きだ。



 途中。肉をチャージする。種類を食べられないのが一人旅の辛いところだ。

 日本のマンホールはバラエティ豊かで外国人に人気があるという話をどこかで聞いた気がするけれど、ここのマンホールもチェスキー・クルムロフオリジナルだ。

 店構えも可愛らしい。

この豚は腹立たしい。

気づけば夜になって、今日もよく歩きました。

 翌朝。朝食を食べてから外に出てみると銀世界。これ幸いと、雪化粧の街を撮り歩く。



やがて空も晴れてきて。

街を出る前に良い写真が撮れてよかった。


再びチェスキー・クルムロフの駅へ。

プラハに戻ります。


プラハに着いた時にはぽつりぽつりと街灯がともりはじめていた。

初日、2日目に宿泊したAttractive Penzionに再び居を定め、夕食を済ませてから、またあてもなく歩く。プラハの街も見知った場所が多くなってきて、体が馴染んできたような感覚がある。


 翌日。プラハから鉄道に乗り約1時間で、クトナー・ホラへ。
 
 この街に来た目的は別にあるのだけれど、前菜として世界遺産である聖バルバラ教会へ。




 聖バルバラ教会を出て、クトナー・ホラ訪問の目的である、セドレツ納骨堂へ。

 この納骨堂には約4万人の骨が納められているという。それだけでも特筆すべき数ではあるけれども、何と言ってもこの場所を唯一無二足らしめているのは、その内装にある。
 内装にもまた、約1万人分の人骨が使われているのだ。
 
 まずは甲骨文字ならぬ人骨文字で、作者(F.Rint)の銘が記されている。

 内装。
 
 パトロンであるシュヴァルツェンベルク家の紋章も人骨で作成。仮に誰かから人骨で作られた我が家の家紋が献上されたら、それは呪詛として僕なら解釈するだろう。

 彼は何を思うのだろう。

 あまりに異様な光景に現実感が感じられず。恐怖や嫌悪は感じなかったけれど、作者はいったいどんな気持ちでこれらを組み上げたのだろう。敬虔かはたまた狂気か。

 日帰りなので、クトナー・ホラを去る。


 プラハへ戻る。いつも通りあてもなく歩くのみだ。

ヴァルタヴァ川の水面は本当に綺麗だ。


 翌朝。チェコとプラハとカレル橋と城に別れを告げる。


 おしまい。
---
その他の旅行記はこちら