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2011/02/12

バルト三国旅行記(1/9)|タリン。夜。

 前日、アジアカップの日本対シリアを深夜3時まで観戦。死力を尽くした試合の疲れが残っていたものの、なんとか6時半に起床。
 シャワーを浴びて、ヒゲを剃り朝食。歯を磨いて最後の荷造りをする。さっきまで活躍してくれた髭剃り「Schick QUATTRO 4」とボディタオルを収納。最後にもう一度これだけは忘れちゃいけない物たち、パスポート、Eチケット控え、VISAのクレジットカード、新生銀行のキャッシュカードの存在を確認して、家を出る。
 9時16分我孫子発の成田線でまず成田へ。このきっぷを楽天のクレジットカードで購入することで、めでたく海外旅行保険が適用される(参照)。JR成田駅から京成成田駅まで歩き、京成線で空港第2ビルに到着。


 Finnairのカウンターでチケットを発券してもらう。心温まる手書きメッセージ入りだ。


 今回も荷物はバックパック一つのため荷物は預けない。荷物を預けないのは僕のちょっとしたプライドだったりする。ただし、機内の荷物入れを占有するので、周りの人にはきっと迷惑だろう。道中の暇なとき用に空港内の本屋で『アンダーグラウンド』を購入する。
 手荷物検査ののち、出国ゲートをくぐり、海外旅行のはじまりだ。


 登場時刻まで時間があったので、機内での乾燥対策としてIROHASを購入しておく。30分ほどして搭乗開始。ゲートをくぐり飛行機の入口に来たところで、乗客全員にevianのボトルが渡される。今回の海外旅行における最初の失敗を早くも記録。
 座席は51L。会社と飛行機では常に窓際をキープすることにしている。2つになったペットボトルを座席のポケットに入れて、機内生活の下準備をする。座ってしばらくしても隣の席が空きっぱなしだったので、前日のオンラインチェックインの際に、隣が空いている席を選んだのが功を奏したかと思ったが、しばらくしておっさんが普通に現れた。世の中そううまくはいかないものだ。
 ナントカネン機長の運転で飛行機は離陸。ひとしきり外の景色で眺めたあと、すぐに寝てしまった。おかげでソフトドリンクを一回もらい損ねた。タダのものをもらい損ねたときの喪失感はどうしようもなく大きい。
 機内エンターテイメントで『サウンド・オブ・ミュージック』を観る。ジュリーアンドリュースの腕が筋肉質であることに気を取られていたら、機内食が運ばれてきた。ポークカレーかシーフードヌードルの二択だったので、ポークカレーを選ぶ。ポークカレー、そば、そしてパン。なんで機内食はいつも主食を重ねてくるのだろうか。シーフードヌードルを選んだ隣のおっさんにも容赦なくそばが添えられていた。

フライトマップによると、飛行機はロシアの上空を飛んでいる。窓の外を見ると、一面雪に覆われた山々や凍りついた川や湖が見える。この風景を見ると、「未開の地」はまだまだ存在するのではないかという気がする。



 うとうとしているうちに、トラップ一家が合唱コンクールで優勝してハッピーエンドを迎えたので、続いて『ダイ・ハード4.0』を観る。このときに思ったけれど、『ダイ・ハード』はショートコントに似た、ショートアクションの組み合わせ。ショートアクション「車」。ドッカーン。続きまして、ショートアクション「ヘリコプター」。ドッカーン。続きまして、「戦闘機」。ドッカーン。
 次いで『必死剣鳥刺し』を観る。無駄死にする人々がやたらたくさんいる、意図のわからない映画だった。『踊る大捜査線3』を観ている途中で飛行機が着陸態勢に入り、乗り継ぎの地フィンランドのヘルシンキに到着。10時間かからずに着くのだから近いものだ。結局機内で『アンダーグラウンド』は一行も読んでいない。ところで、縦書きの本でも「一列」ではなく「一行」なのだろうか。
 7時間ほどタイムスリップした結果、15時にヘルシンキ着。木々のとんがりに北欧を感じる。

最初の目的地、エストニアの首都タリンに向かう飛行機まで5時間ほどあったので、ようやく『アンダーグランド』を読む。地下鉄サリン事件の被害者に対する村上春樹のインタビュー集だ。
 100ページほど読んだところで、外はすっかり暗くなり、それ以上に心が暗くなったので読むのをやめた。一冊で長く読めるものをと思って買ったけれど、能天気に旅行している自分に疑問も持ってしまうので、旅行に持っていくのはおすすめしない。
 乗り継ぎの21番ゲートに向かう途中で入国審査のゲートに遭遇。シェンゲン協定の関係か、フィンランドで入国審査を受ける。審査官が暇だったのか、ちゃんとした質問をされ、久々に「サ、サイトシーイング」とか言ってしまった。ここのところJAPANパスポートの力でスルーが多かったので、不意打ちを食らった格好だ。





 搭乗時刻まで椅子でうつらうつらしながら過ごす。最近旅行中の気が緩みがちである。
 ようやく搭乗時刻となり、バスで飛行機まで移動。ここで初めてヘルシンキの外気に触れる。ものすごく寒い。半袖Tシャツ+ヒートテック長袖+長袖カットソー+ウィンドブレーカー+UNIQLOプレミアム3WAYジャケットでも体が震える。果たしてこれからやっていけるのだろうか。
 タリンへ行く飛行機はものすごくプロペラ機だ。


 飛行時間は25分とのこと。近い。乗継までの5時間の間に他の方法で目指したほうが早かったような気もするけど、きっと気のせいだろう。離陸後まもなくミントの塊みたいなチョコレートを食べてまた寝る。起きたらタリンに着いていた。
 寝ているうちに何の感慨もなく到着してしまったエストニア。何かしらの儀式が欲しいところだけど、フィンランドで入国審査を済ましてしまったため、何も遮るものがないままに到着に到達してしまった。まあ仕方ないか。
 まずは空港のATMで現地通貨のクローナを引き出す。しかし、最初のATMではユーロしか表示されない。別のATMでも同様だったので、仕方なくユーロで引き出して両替所へ。金髪の爽やか北欧メンに両替を依頼すると、
 「もうクローナは使ってないよ。」
 と爽やかに教えてくれた。
 そう言えばバルト三国のどこかが2011年1月からユーロを導入したというニュースを観たが、エストニアだったのか。何となくラトヴィアかリトアニアだと思っていた。根拠はないけれど。
 気を取り直して、引き出した50ユーロを使い、キヨスクでバスの1回券を買う。

地球の歩き方』によると、2番のバスに乗り、A.Laikmmaで降りると世界遺産である旧市街に近いらしい。「アライグマ」と覚えようと思う。
 バス停の位置を確認しようと外に出ると、いきなり2番のバスが到着したので、思わず乗り込む。
 バス内の検札機にチケットを通して、座る。普段の海外旅行なら、運転手ないし乗客に下車場所のアピールをして着いたら教えてもらうようにするのだけど、電光掲示で表示されていたのでその必要もなかった。
 アライグマことA.Laikmmaまでは15分ほど。外の景色をぼんやり眺める。旧ソ連圏の国々は何となくコンクリートに苦労がにじんで見えるような気がする。
 バスがA.Laikmmaでバスを降り、旧市街まで歩く。寒さはそれほどでもないけれど、雪が踏み固められて足元が滑りやすい。中学校3年間を札幌で過ごした経験を生かして進む。
 ほどなくして旧市街の入口のヴィル門と思われる門に到達。石造りの門がぼんやりとした赤のイルミネーションで彩られている。あの赤のニュアンスが日本とは違うように思える。ああいうものがヨーロッパ独特の色彩感覚なのだろう……とか適当なことを言うと、電飾は中国産だったりするので、下手なことは言わないよう気を付けたい。


 タリンでの宿を探す。特に予約はしていないのだけれど、HostelWorldで評判の良かった「The Dancing Eesti」に泊まろうと思い、旧市街内を探し歩く。しかしなかなか見つからない。旅行最初の宿はいつも見つからないものだ。
 人に聞きつつ、30分以上さまよった挙句にようやく宿を発見。宿の入り口が通りからは見えずに、門をくぐった中庭に面していたため、なかなか見つけることができなかったのだ。予約もしていないのだから別の宿にしてもよかったのだが、ここで意固地にその宿を探し続けるあたりが僕の美徳であり悪徳だろう。
 何にせよインターホンを押してドアを開けてもらいフロントへ。スタッフが部屋の種類について色々説明してくれたけれど、ここはクールに、
「一番安いやつを頼む。」
 ということで、1部屋12ベッドのドミトリー(相部屋)に宿泊することに。1泊7ユーロ×2泊を支払う。手続用にパスポートを見せると、今夜は他に日本人が4人もいるという。『歩き方』に載っているわけでもないのに、やたら多い。むしろ真冬のタリンにそんな日本人旅行者がいるのか。
 もう22時を過ぎていたけれど、少しだけ町を散策する。
夜の街というのはとても綺麗なもので、世界唯一の例外が歌舞伎町だと思っている。

 機内食でお腹いっぱいなので、夕食はパス。500mlの水(0.54ユーロ)を買ってから宿に戻る。歯を磨いて共有スペースに行くと、
 「日本人の方ですか?」
 と声をかけられる。
 そちらを見ると、日本人の男女だ。二人とも20代前半~半ばくらいで、男性はネットブックを、女性は編み物をしている。話をしてみると、彼らは1年ほど前に日本を出て、世界を一周している途中だという。
 長く旅行している人の服装はどこか特別で、基本はアウトドア系のアイテムを着ているのだけれど、道中で買い足し、買い替えた各地のアイテムがミックスされて、どの国の人からみてもエキゾチックな雰囲気が出てくる。
 たまたま『歩き方』の話になったので、僕が持っていた『地球の歩き方 バルトの国々』を見せると、
 「写真撮っておいてもよいですか?」
 と、とても喜んでくれた。思えば彼らは事前の情報もほとんどない状態で新しい国々を渡り歩いているのだからたいしたものだと思う。空港に着いたところで何番のバスに乗ればいいのかもわからないのだから。
 彼らの話によると、この宿に泊まっているもう二人の日本人は双子の姉妹らしい。
 冬のタリンで双子の日本人と同じ宿に泊まるなんてのは奇跡だと思う。世の中はきっとこういった特に意味のない奇跡で溢れているのだろう。「君と出会えたこと」ばかりが奇跡ではないのだ。ちなみに双子の姿をみることはなかったけれど。
 共有スペースで日記を書いていたら眠くなったので、部屋に戻り、就寝。時刻は0時。