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2010/09/10

トルコ旅行記(4/6)|アンカラ。徒労。


 朝食は昨日と寸分違わぬ同じメニューだった。美味いからよいのだけれど。
 炭酸仲間の日本人、ユカも同じバスでアンカラに行くとのことなので、一緒に宿を出ることに。宿のオーナーとテギュンにお別れを言う。さらばテギュン。もう二度と会うことはないだろう。

 ユカは女子かつこれから2ヶ月間トルコで暮らすだけあって荷物が多い。ショルダーバックと、バカでかいスーツケースがある。男子としてはスーツケースを持たないわけにはいくまい。けれども持たずに済むならそれに越したことはないので、わずかな可能性に賭けて聞いてみる。
 「嫌じゃなければ、スーツケース持つよ。」
 「あ、全然イヤじゃないです。」
 そうですか。
 やむなくスーツケースを持つ。キャスターがあるので平地は良いけれど、階段やちょっとした段差がキツイ。重さは「なんとか20kgに収めた」らしい。
 「私、無駄なものを持っていくのが好きで、最初は体重計とか入れてたんですけど、やめました。」
 それはありがとう。もしこの中に体重計が入っていたら、僕はその場で投げ捨てていただろう。

 チャルシュ広場で、バス会社のオフィスがあるクランキョイ行きのドルムシュ(乗り合いタクシー)に乗り込む。ユカがドルムシュにやたら興奮しているので、ここに来るときにどうしたのか聞くと、バスターミナルでバス会社の人に行きかたを聞いたら、その人が宿に電話してくれて、宿の人が迎えに来てくれたそうだ。
 10分ほどでクランキョイに到着。二日前にイケメンが連れてきてくれた停車場で降りて、バス会社メトロ・トゥリズムのオフィスまで5分ほど歩く。このオフィスからオトガル(バスターミナル)までセルヴィス(シャトルバス)が出るのだが、まだ一時間ほどあるので、クランキョイをしばし散策する。



 スーパーで歯ブラシを買い、ユカがシェーバーを探しているというので薬局にも寄る。しかし女性用のシェーバーは全く売っておらず、イスタンブールで買っておけばよかったと悔やんでいた。
 その後、市場でユカがどうしても桃を食べたいというので、僕の『旅の指さし会話帳』と彼女の『タビトモ会話』を駆使して、桃を買ってその場で剥いてもらえるか挑戦する。二冊とも「むく」が乗っていなかったので、ジェスチャーや「ブチャック!(ナイフ)」などと言って奮闘していると、道行くオヤジが英語で話しかけてきた。
 「どうした?」
 「桃が食べたい」
 「OK.」
 そう言うと、トルコ語で店に人に何かを指示。僕らが桃の代金2TL(2個)を払うと、店の人からナイフを受け取り、トイレの横へ。そこの水道で桃を洗い、むいてくれる。
 場所はともかく、ありがとうオヤジ。桃はみずみずしくて、とても美味しかった。
 オヤジは元・ホテルのレセプションで、今は英語の教師をしているらしい。オヤジにも桃をすすめたが、食べようとしなかった。
 「禁止されているんだ。」
 果物が禁止されているのかと思ったら、そう言えばラマダン中だった。オヤジごめん。オヤジとユカの写真を撮ったら、オヤジが写真を送ってくれと言う。
 「メールかFacebookで頼む。」
 こんなオヤジもFacebookをやっているのか。海外での人気を実感する。

 オフィスに戻り、セルヴィスでサフランボルのオトガルへ。オトガルの写真を撮っていると、バス会社のオヤジが、「俺たちを撮れ。」と言ってきたので、仕方なく撮影する。ちなみに僕がこれから乗るのは別のバスだ。




 サフランボルからアンカラへは約3時間。相対的にとても近く感じる。途中の休憩所で、中央分離帯にいる野良馬に遭遇した。インドの野良牛、モロッコの野良ロバ、そしてトルコの野良馬と、旅をしていると予期せぬ野良に遭遇する。


 14時半に再びあの巨大なバスターミナルに到着。
 そこから市内へは「アンカライ」という地下鉄で移動する。アンカラの鉄道駅には5つ目のマルテペという駅で降りて歩けば良いらしい。
 ユカも同じくアンカライで市内へ。彼女に鉄道駅まで付き合ってもらい、その後彼女の宿探しを手伝う。そして宿が見つかったら列車の時間まで部屋に僕の荷物を置かせてもらうことになった。
 窓口でアンカライの切符を買う。『歩き方』に書いてある通り、切符の種類は2回券からになっていて、窓口の兄ちゃんが丁寧に説明してくれる。トルコの人は全般的に親切。
 10分ほどでマルテペ駅に到着。ここからアンカラ鉄道駅へは地下道を通って徒歩10分~15分ほど。ベンチにいたおばちゃん、掃除のおじちゃん、道行く若者に道を聞いて何とか到着した。
 地下道から上がっていくと、いきなりプラットホームに出る。ホームに立派な電車が止まっている。おそらく「YHT」という高速列車だろう。この分だと僕が狙っている寝台列車「アンカラ・エクスプレシィ」も期待できそうだ。
 まだ売り切れていないことを願いつつ、「Bilet」と書いてある窓口がそれっぽいので並ぶ。時刻は15時半。気持ちがはやるなか、僕の前でおばちゃんが何やら窓口で食い下がっている。どこの国でもおばちゃんをあやすのは大変だ。それにしても長い。
 ようやくおばちゃんが退散したところで窓口へ。
 「To Istanbul, Ankara Expresi.」
 「Today?」
 (うなずく)
 「……Full.」
 衝撃の事実。日本人なのに窓口で「Oh...」とか言ってしまったくらいに衝撃的だった。
 ベンチで待っていたユカに満席だったと伝えて、すぐに代替案を考える。もし一人でいたらベンチでしばらくいじけていただろうけれど、かっこ悪いので「切り替えの早い人」風を装ってみた。
 翌日のアンカラ・エクスプレシィも検討したけれど、アンカラに2日も使う気にはなれなかったので、今夜のバスでイスタンブールに向かうことにする。
 どうせバスならばサフランボルから6時間で行けたのに、まさに徒労。

 過ぎたことはさて置いて、夜までは時間があるため、まずは彼女の宿を探す。心なしかスーツケースがさっきより重くなった気がするけれど、頑張って安宿が集中しているウルス地区を目指して駅から歩く。
 小腹が減ったので途中にあった屋台でサンドイッチを買ってシェアする。うまい。屋台のすぐ横で食べていたら、先客のオヤジがアイランをおごってくれた。ありがとうオヤジ。ラマダンはいいのか。




 軽く道に迷いつつ、何件かのホテルを見てまわってから宿が決定。「僕は泊まらないけど荷物を置かせてね」と聞くとOKだった。

 アンカラ観光と言っても、『歩き方』を見てもそれほど魅力的な観光スポットがないように見える。とりあえず比較的近場のアンカラ城へいくことにした。(後日イスタンブールで聞いたら、博物館が良いらしい。)
 今日も暑いので、コーラを飲みながらアンカラ城を目指す。やはりユカはコカコーラ・ゼロを選んだ。
 アンカラ城へ向かう階段は思っていたよりも段差が多く、城壁は二重構えで造られていた。休み休み登って行く。城の頂上へ通じる階段が小さくてわかりにくいけれど、そこらへんで遊んでいる子どもたちが教えてくれた。

 そして頂上へ。期待値の低かったアンカラ城だけれど、頂上からの眺めがとても素晴らしかった。ここから街を見下ろすだけで、もはやこの街を制覇したような気分になる。


 城を下って街へ降りるころには、日が傾き始めていた。

 歩き通しで足が限界に来ていたので、トルコらしからぬお洒落なカフェでアイスを食す。バニラとオレンジで3TL。見た目はごく普通のアイスだけれど、根がトルコアイス。派手に伸びないけれど、噛み切るような感覚がした。


 気がつけばもう19時。17時を回ったあたりから、飲食店以外の店はほとんど閉まってしまう。僕も彼女もサンドイッチとアイスによりあまりお腹は空いていなかったけれど、僕はオトガル(バスターミナル)でバスのチケットを買う必要があったし、彼女はあまり遅くなってから出歩きたくなかったので、夕食を取ることに。
 彼女が泊まるホテルの近くにあったロカンタ(大衆食堂)に入ってみる。英語は通じなかったので、果物屋のときと同様に僕の『指さし会話帳』と彼女の『タビトモ会話』を駆使してメニューを決める。
 レンズ豆のスープと、「高原のスープ」にトルコ風ピザ「ピダ」を一枚。それに僕はアイランと彼女は水。



 レンズ豆のスープがとても美味しい。「高原のスープ」は独特の風味があって、ユカをして一口で「私コレ無理です。」で言わしめた逸品。どこの高原だ。とてもエキゾチックな味で僕は好きだったけれど、残した。ごめんなさい。ピダもそこそこ美味い。2人で15TL。観光客向けレストランの半額くらい。
 ロカンタを出て、彼女の部屋に戻って荷物を回収。ユカと別れる。さらばユカ。よいインターンシップを。

 追加で料金を取られないよう、フロントに出発したことをアピールしつつ、ホテルを出る。外はすっかり暗い。
 カッパドキア以来、久しぶりに一人になった気がする。20kgのスーツケースもないので足取りは軽いけれど、地に足が着いていないような気分でもある。
 ウルス駅まで歩いて、地下鉄に乗る。

 クズライ駅で再び「アンカライ」に乗り換えて、3度目のオトガルへ。
 アンカラのオトガルで、この旅初めて、道をふさいでくる客引きに遭遇する。手で払いのけて、信頼のバス会社メトロの窓口へ。この旅行中、「メトロ・トゥリズム」と「ネヴシェヒル・セヤハット」の二社を利用したけれど、メトロのほうが設備・スタッフともに質がよい。
 イスタンブール行きの便と座席があるか不安だったけれど、21時発のチケットを購入できた。発車は15分後。疲れていたので何か甘い飲み物でも買っておきたかったけれど、時間がない。バスへ行き、既に閉まっていたトランクを開けてもらい、バックパックを放り込み、車内へ。
 車内では水と軽食とコーヒーor紅茶orコーラが出される。早くコーラを下さい。水とコーラを出されるや否や一気に飲み干して、一息つく。
 乗務員に行先を聞かれたので、「イスタンブール」と答えると、まだ何か聞いてきている。何か聞いたことのある音があると思ったら、オトガルの名前だった。そう言えばイスタンブールにはオトガルが2つあるのだった。ヨーロッパ側にある「エセンレル・オトガル」と答えたらOKだった。
 アンカラ~イスタンブール間はバスで6時間ほどなので、21時発のバスは翌朝3時にイスタンブールに着く計算になる。しかしそんな時間に着かれても皆困るだろうから、休憩時間で調整するのだろう。

 と思っていたら、きっかり午前3時にイスタンブールに到着。さすが信頼のメトロ社。今思えばあのバスはイスタンブール止まりでは無いのだから、調整するはずはなかった。
 深夜3時のバスターミナルに一人。さて、どうしたものか。

※以下、結構テンパっていたため写真がありません。

 ただ、一定時間困っていると、誰かしら助けてくれるのがトルコ。しかも一定時間は結構短い。このときも同じバスから降りた兄ちゃんが「どこに行くんだ?」と聞いてくれた。
 僕が安宿の多い「スルタンアフメット」と答えると、兄ちゃんはオフィスのスタッフに何か聞いてくれて、
 「あそこに停まっているバスがアクサライまで行くから、そこからタクシーで行け。」
 と教えてくれた。
 とりあえずそのバスに乗り込む。しかしバスに乗り込んでから改めて考えると、このままバスで街中に放り出されるよりも、このままトラムの動き出す時間まで待ったほうがよい気がしてくる。オトガルには営業中のキヨスクもカフェもあるのだから。
 一方では、ここで降りてしまうと、せっかく教えてくれた兄ちゃんに何となく悪い気もするし、行き先であるアクサライにバス会社のオフィスなり開いている店があるかもしれないとも思う。結局、そのままバスの中で待つ。
 このように色々考えた挙句に流れに身を任せるのは、僕のいつもの失敗パターンであるけれど。
 しばらくして乗り込んできた運転手に「アクサライに行くか?」と聞いて、降車場所をアピールする。乗ること20分ほどで「ここだ。」と降ろされた場所はまさに道端。オフィスも店もない。深夜3時のバスターミナルから、深夜3時半の道端へ。状況は若干悪化したようだ。

 必ず誰かしら助けてくれるトルコといえども、そもそも人がいないので誰も助けてくれない。仕方がないので少し歩いてみる。地下鉄の入り口があったので降りてみたが、改札もトイレも閉まっていて何もなかった。
 さて困った。スルタンアフメットに行きたい。そして、それ以上にトイレに行きたい。カッパドキアに着いたあの日のように、僕のドアを内側からDokkan Dokkan叩く音がする、深夜バスに乗ったあとに必ず腹痛を起こすのは、車内の冷房と無料の飲み物のせいだろう。恵まれた家庭に育ったものですから、タダのものはついついもらい過ぎてしまう。
 再びトルコで散る危機を感じながら、気持ちと出口を引き締めて歩いていると、ホステルを発見。ありがたいことに受付も開いていた。
 受付に行き、なるべく辛そうな顔でトイレを借りてよいか聞く。手でお腹をさするオプションもつけてみた。
 めでたくOKを貰いトイレへ。さらにありがたいことに洋式&トイレットペーパーつき。ただし、電気がつかない。廊下の自動消灯する電気が消えると何も見えない。暗闇のなか中腰でトイレットペーパーを手探りする自分の姿を思うと哀しくなった。
 今思えばこのホステルに泊まっても良かったのだけれど、今から泊まって一泊分の料金を取られるのが嫌だったので、受付の兄ちゃんにスルタンアフメットに行く方法について聞く。
 「スルタンアフメットまで? タクシーで10分だね。料金は10TLくらい。」
 「道は安全かな?」
 「いや。」
 安全じゃないのか。これまで旅してきたトルコの雰囲気から治安は大丈夫だろうと思っていたけれど、ここは兄ちゃんの言葉を信じたほうがよさそうだ。一応ここで朝まで待たせてくれないか頼んでみたけれど、流石に駄目だった。

 やむなくタクシーでスルタンアフメットを目指す。タクシーを使うのは不本意だけど仕方がない。地下鉄の入り口横で寝ていたタクシーの運転手を起こし、スルタンアフメットまで幾らか聞くと、メーターを指差した。
 意外ときちんとしているトルコのタクシー。運転手のオヤジは何度か道を間違えつつ、10分ほどでスルタンアフメット近辺へ到着した。
 イスタンブールではユカが泊まって「結構良かった」と言っていたホテル「TOP DECK」に泊まろうと思っていたので、彼女にもらったホテルのカードをオヤジに見せる。これが失敗だった。
 ホテルの場所を知らないため、住所を元にホテルを目指すが、迷走するオヤジ。道を聞くため、そこらへんにいる人にクラクションを鳴らして手招きする。迷子のくせになぜそんなに偉そうなのかは不明だ。
 無駄にメーターを回した後、ようやくホテルに到着。車を停めて、誇らしげに何か話しかけるオヤジ。いいからメーターを止めてくれ。オヤジのエンディングトークで1メーター上がり、11TLほど払って下車した。

 目的のホテルに着いたは良いものの、ドアが開いていない。ユカが24時間オープンしていると言っていた通り、灯りはついているのだが、ノックしても返事がない。しばらく待ってみたけれど動きがなかったので、『歩き方』に載っている別の宿に行ってみるけれど、これも開いていなかった。さてどうしたものか。
 ところで時間は朝の4時になろうとしていたけれど、通りには人がそれなりにいる。ほとんど欧米の旅行者のようだけれど。皆適当に閉まっているカフェのテラス席に座って喋っているようなので僕もそれにならい、日記を書いて過ごす。

 7時になったので、改めてTOP DECKへ。ドアが開いて受付がいる。シングルルームで二泊を所望すると、「今は部屋が空いてないけど、12時ごろに空くからそれまで荷物を置いておけ」ということで、202号室に通される。202号室では、中でスタッフを思しき人が寝ていた。トイレを借りてひげを剃り、歯ブラシをして外に出る。
 さあ、最後の街、イスタンブールだ。

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