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2012/03/25

キナバル山登山記録(3/4)|コタキナバル→キナバル山

2011年9月5日(月)コタキナバル



 5時半に起床。荷物をまとめて6時半に宿を出発し、バスターミナルへ。10分ほどで到着し、キナバル公園へ向かうバスもすぐに見つかる。バスと言っても、10人乗りくらいの小汚いバンだ。トルコ旅行で利用したドルムシュが懐かしく思い出される。
 運転手のオヤジに主発時間を確認する。
 「(7時だって知っているけど)何時に出るの?」
 「8時だ。」
 「えっ。」
 昨晩の観光局のスタッフも、今朝宿のフロントで確認しても7時だと言っていたのに、まさかの8時出発。それはまずい。
 キナバル山の登頂には幾つかルールがあり、そのうちの一つに、「午前10時以降に登り始めることはできない」というものがある。おそらく日没前に山小屋にたどり着くことができなくなることを防ぐためであろう。
 コタキナバルからキナバル山までは約2時間のため、8時に出発すると到着は10時を過ぎてしまい、登山をできない恐れが十分にあり得る。日本から遠路はるばるやってきた挙句に、麓から山を眺めて引き返す結果になったら、アイスキュロスだって涙を禁じえないだろう。
 オヤジに7時に出るバスがないのか聞いてみる。
 「無い。でもこのバスが満車になったらすぐに出発するぞ。」
 そう言ってオヤジは誰も乗っていないバスを指差した。

 キナバル山に登るためにどうしても9時までに着きたいということを訴えるも、オヤジは軽く無視をしてどっかに言ってしまった。僕ご自慢の「途方にくれている外国人オーラ」が効かないとは、このオヤジ、なかなかできる。
 周りの奴らもニヤニヤしているだけで、助け舟を出す気はないようだ。確かに必要なのは舟ではなくバスだ。観光局へ行って相談しようにもオープンが8時からなのでもう手遅れだ。そうしているうちに刻一刻とタイムリミットの7時が近づいている。
 手痛い出費ではあるけれど、タクシーで向かうことも考えなければならないな……。
 運だけで渡ってきた僕の人生もこれまでかと思った矢先に、1台のこれまたボロいバンがバスターミナルに到着した。ここで一発逆転のキナバル公園行きが到着かと期待したけれど、そうではないようだ。だがそのバンの運転手と、キナバル公園行きのバスの運転手が何やら話し合っている。
 そして、バンの運転手が僕の方にやってきて言った。
 「お前、今すぐ出発したいのか?RM80(約2,000円)ですぐに出発してやるぞ。」
 『地球の歩き方』によると、通常バスで向かった場合の料金がRM15なので、3倍強のお値段だ。しかし、タクシーの相場(RM150~180)よりかもはるかに安い。これは悪くない提案だと思ったけれど、一応値下げ交渉をしてみる。
 「もうちょっと安くならんかね。」
 「お前一人だろ? 2時間かかるんだぞ?」
 まぁ確かにそうなので、大人しくRM80を支払い、車の後部座席に乗り込む。
 いざ出発。
 と思ったら、助手席に見知らぬ爺さんが同乗してきた。席が空いていたらタダ乗りさせてもらう、こうした爺さん婆さんを海外ではよく見る。1人ではなくなったので、再度値下げ交渉しようと思ったが、運転手が「彼はお前のおじいさんだったな?」と気の利いた台詞を言ってきたのでやめにした。
 実は僕の祖父が先日亡くなったばかりでもあった。この爺さんの分も支払ったと考えれば、1人あたりRM40でそんなに悪くない料金だ。



 オンボロ車は7時にバスターミナルを出発。キナバル公園を目指して平地を70キロ、坂道を30キロでひた走る。坂道でのスローダウンっぷりに、このペースで間に合うのか不安になる。いや、むしろ完走できるのかも怪しい。



 1時間弱走ったところで、キナバル山がその姿を現す。標高4095.2メートル。あの鋸山よりもはるかに高い。



 しばらく走ると、オヤジが気を利かせて、キナバル山のよく見えるスポットで停車して写真を撮るように促す。気持ちはありがたいが、もっと急いでくれないだろうか。
 車がノロノロと山を登るにつれて気温が下がってきたため、ヒートテックを装備して山に備える。



 キナバル公園には9時5分前に到着。爺さんに別れを告げて中へ。公園の事務所で山小屋の予約票を見せると、食事のバウチャーを貰える。これで今日の昼食(お弁当)、宿での夕食、山頂へ行く前の夜食、翌日の朝食、そして下山後の昼食をもらえるので、充実の1泊5食付きだ。



 早速事務所から坂道を下ったところにあるレストランへ行き、オリジナルの手提げバッグに入ったお弁当を受け取る。中身が楽しみだ。



 弁当をバックパックにしまって、今度は事務所の隣にあるビジターセンターへ。ここで登山者のIDカードを受け取る。プラスチックに名前が印字された、立派なカードだ。
 カードを受け取ったあとは、隣のカウンターでガイド料金を支払う。キナバル山の登頂ルールとして、ガイドの付き添いが必須となっているのだ。ガイド料金はRM128(約3,500円)。ちょうどこの2011年9月1日から従来の1.5倍に値上がりしたという絶好のタイミングであった。ここまでのバス代にガイド料にと、想定より多い出費が結構痛い。
 僕の担当ガイドはGisosという岡村隆史似の小さいおじさんが割り当てられた。
 全ての手続が終わったところで、いよいよ登山の準備をする。asicsの登山靴にウールの靴下、adidasのスパッツの上からヒートテックを履き、Lowe Alpineの登山用ハーフパンツ。UNIQLOのドライTシャツの上に長袖のヒートテック、その上にReebokのウィンドブレーカーと、世界中のメーカーが僕のために道具を用意してくれた。
 水はお弁当と一緒にもらえた500mlのペットボトルと、持参したこれまた500mlのペットボトルに、飲みかけの水があと300mlほど。バックパックの重さは大体6kgほどだ。
 すべての装備を整えて、首からIDカードをぶら下げ、バックパックを背負っていざ出発。



 と思いきや、登山口までのピックアップ料金としてRM33(約900円)を請求される。何か1つアクションを起こすたびに減っていくお金。4000m級の山に登るにあたり、少しでも荷物(主に財布)を軽くしてやろうという事務所の優しさに涙がこぼれた。





 車で5分ほど走って(5分で900円…)、いよいよ登山口へ。
 午前9時43分、山登り開始。





 『歩き方』には登山道は整備されていると書いてあったので、赤絨毯でも引いてあるのかと思ったけれど、そうではないようだ。この登山道が整備されているのか否かは、僕の豊富な登山経験(2回)では判断しかねる。



 歩みを進めるにあたり意識することは、常に体重を自分の真下に置くこと。これは日本を出るときにEテレで放送していた『チャレンジ!ホビー あなたもこれから山ガール』で得た知識だ。有用な番組であったけれど、まだ第3回目の時点で日本を離れなければならなかったことが悔やまれる。



 30分ほどで1km(標高2039m)、2時間ほどで3.5km(標高2634m)地点に到着。途中で暑くなってきたので、ウィンドブレーカーをバックパックにしまい、ドライTシャツとヒートテックだけになったのだけれど、それでも汗がしたたり落ちる。



 体力的にはそこまで辛くないけれど、木を組んで階段状にしている箇所が多く、筋力的な負担は結構大きい。ガイドのGisosは階段を避けて、脇の坂になった箇所を登るようにしていたので、僕もそれにならう。



 3.5km地点からもう少し登ったところで昼食を取る。下でもらったお弁当をいよいよオープン。


 サンドイッチにゆで卵が2個、小さいバナナとリンゴが1個。動物園の猿山を思わせる充実のメニューだ。
 クリアボディのファイヤードラゴンを更に穴だらけにしたような軽量化に成功している軽食。とはいえ、侮ってはいけない。サンドイッチとゆで卵は口にした瞬間に、口の中の水分を根こそぎ持っていく。僕は歩いている時よりもはるかに多くの水を摂取し、昼休憩を終えた。

 12時ごろに登山再開。このあたりから下山途中の人とも多くすれ違う。日本からやって来たご高齢の集団にも遭遇した。
 ガイドのGisosは物も言わずに、僕の後ろを影のように歩いてついてくる。後ろをついてきてくれるのは、自分のペースで歩けるのでとてもありがたい。折角なので少しコミューニケーションを図るべく、声をかけてみた。
 「日本では"山ガール"っていうのが流行ってるよ。」
 「ふーん。」
 「……。」
 「……。」



 Gisosとの心温まる交流もそこそこに山登りは続く。キナバル山に登る人も様々だ。
 いかにも運動が苦手そうな女の子が、命を搾り出すような吐息を漏らしながら体を持ち上げている。
 若い男の子はハイスピードで僕を追い抜いては、その先の休憩所で僕に追い抜かされるのを繰り返している。日本には『うさぎとカメ』という童話があることを伝えてあげたい。
 他にも、小学生くらいの子どもを連れた夫婦もいれば、日本人の男女もいた。







 出発から3時間ほどすると、太ももの限界が近づいているのを感じる。なるべく坂道を通るようにしてはいるけれど、やむなく階段を通るときは、段差を登るごとに、気を抜くとももがつりそうになる。一度つると相当にキツくなるので、慎重に歩を進める。
 水分をこまめに補給しながら、スニッカーズでカロリーを補給。以前、自転車でハンガーノックになったことがあり、怖さを知っているのでそれだけは避けるように努める。



 そして登頂開始から3時間40分。13時24分に標高3272.7mに位置する山小屋Laban Rata Guesthouseに到着した。
 ここでGisosとは一旦別れ、今夜山頂へ向かうときに最後合流することになる。
 別れ際にGisosは、
「ヘイ、カミカゼボーイ。お前の健脚と折れない心には正直度肝を抜かれた。今まで多くのクライマーを見てきたが、俺のあとを継がせても良いと思えたのはお前だけだ。どうだ、ここに残ってガイドとして働かないか?」と言わんばかりに、
 「お前速いな。明日は3時に迎えに来るよ。」
 と言って去っていった。



 宿のフロントでチェックイン手続きを済ませる。Dorm4が僕の部屋だ。二段ベッドが3つある。
 何よりもまず汗を洗い流すため、バスタオルと着替え、そして洗濯物を持ってシャワールームへ。
 シャワールームに入ると、先客が奇声を発しながらシャワーを浴びていた。高地で脳にダメージでも受けたのかなと思いつつ、隣のシャワールームに入る。
 ノブをひねると、シャワーから勢い良く水が出てきた。山の神様がくれた水はとても冷たい。ノブの隣にいかにもお湯が出そうな赤いレバーがあったため、押してみるが何も起こらない。引いても、回しても何の手応えもなく、水はどこまでも冷たい。
 シャワーから落ちる冷えきった水でシャワールームの室温はどんどん下がっているのがわかる。水に手を入れても、10秒と持たない。
 やむなく隣人の変人に声をかける。
 「ねぇ、お湯はどうやったら出るの?」
 「お湯はないよ!」
 「マジで?」
 「そうだ。お湯だと思うことが大事だ!」
 隣人の奇声はお湯だと思うための断末魔の叫びであったようだ。そんな彼の勇姿を見て(見てないけど)、僕がここで引く訳にはいかない。
 ボディタオルを水につけて石けんを泡立て、体を洗う。そして髪を洗うと同時に体についた泡を洗い流す。この最短時間で勝負を決めるしか無い。
 大きく息をひとつ吐き、また大きく吸ったところで、頭からシャワーを浴びる。
 あまりの冷たさに声も出ない。全身の血管が一本残らず収縮して、全ての血液が心臓に逆流するかのようだ。喉が締め付けられて、かすれた息が漏れる。
 生命の危機を感じたため、水から逃れる。いつの間にか吐息は白く濁っていた。
 漫画のように全身を震わせながら、降り注ぐシャワーの水を見つめて、自分自身に問いかける。
 「もう1度あの中に行けるのか? 行ったら戻ってこれるのか? おい俺の筋肉、行けるのか行けないのかどっちなんだい?」

 絶対に無理だ。
 僕はまだ体に残った泡をバスタオルで拭き取り、わずかにつないだ生命を両手で抱きしめながら、登山の厳しさを全身で感じていた。
 洗面台で洗濯をしてから部屋に戻ると、同部屋の登山客が到着していた。シンガポールからやって来たという男女3人組だ。
 僕が冷水シャワーを浴びてきたと知ると、「お前はヒーローだ」と言った。
 両手に洗濯物を抱えたヒーローは上のベッドの裏側(下側)に洗濯ひもを張り、濡れている洗濯物を干した。そして世界の平和を願いながら洗濯物の下で夕食の時間まで眠りに就いた。



 18時前に夕食を食べに降りる。ビュッフェではなるべくハイカロリーなものを摂取するように心がける。





 食事の後にテラスで夕焼けを眺めてから、部屋に戻る。
 部屋に戻って改めて感じる。夕食前から薄々感づいていたが、やや熱っぽい。どう考えても地獄の冷水シャワーが原因である。ここまで原因のわかりやすい体調不良もそう無いだろう。早めのパブロンを投入し、深夜までまた眠りに就く。
 深夜3時から山頂アタック開始。果たして大丈夫なのだろうか。
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