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2012/04/01

キナバル山登山記録(4/4)|キナバル山頂

2011年9月6日(火) Laban Rata Ruesthouse
 午前1時50分。標高3,700m。マレーシア。
 一年前の自分に「来年の9月6日はマレーシアの標高3,700mメートル地点にいるぞ」と言っても、とても信じさせることはできなかっただろう。一寸先は山であり、今夜は山だ。
 幸いにして、寝る前に感じていた熱はすっかり引いた。しかしながら別の問題が浮上する。干しておいた洗濯物がまだ湿っている。干している時から嫌な予感はしていたけれど、やはり乾かなかったようだ。
 ヒートテックは1着しか持って来なかったため、湿ったヒートテックを着るか、着ないでいくかの2択だ。しばし思案した結果、後者を選択した。気化熱で体温を奪われると、下手したらきっと死ぬ。



 食堂に降りて当直前の夜食をいただく。山小屋に来てから、寝るか食べるかしかしていない。他にやることもないのだけれど。サバ州特産のサバコーヒーがとても美味しい。
 食堂で出発準備をしている人々の様子を見ると、皆バックパックを小さなリュックに取り替えて背負っている。なるほど。考えてみれば何も馬鹿でかいバックパックを背負って山頂へ行く必要はない。しかしながら僕は当然そんな準備はしていないので、バックパックからほとんどの荷物を出して、スカスカになったものを背負う。すこしの事にも先達はあらまほしきことなり。
 荷物は水を500mlとスニッカーズが1本に折り畳み傘。登山用ハーフパンツにUNIQLOのドライTシャツを2枚着て、その上にウィンドブレーカー。そしてその上からTHE NORTH FACEの雨具を着る。最後にヘッドライトを装着して準備完了。
 2時50分にGisosが迎えに来たので、いよいよ山頂へのアタックを開始する。





 山小屋から外に出る。外は真っ暗だ。思ったよりも寒くない。ただ、夜のうちに雨が降ったため、地面が濡れていて滑りやすい。きちんとした登山靴を履いてきてよかった。



 山小屋を出てすぐの道は渋滞中。登るのが速いも遅いも関係がない。首都高ではフェラーリもライフも走る速度は一緒だ。
 列がゆっくり進むなか、ふと上を見上げると、満天の星空が広がっている。その数はこれまで人生で見た星の数を全て足しあわせたものよりもきっと多い。そう言えば、山に登るということは、空に近づくことだった。
 これらの星のどれかが自分の故郷だったとしたら、それは蛇に噛まれてでも帰りたくなるだろう。僕はマレーシアに来て、小さな王子の気持ちをはじめて理解した。
 この星を写真に収めようと試みるも、後ろからのプレッシャーもあり、何も写らなかった。本当に大切なものは眼に見えないのと同様、本当に綺麗なものを写真に写すのはなかなか難しい。





 こんなにも沢山の星が輝いているのに、足元はとても暗い。ヘッドライトがないと何も見えない。

 渋滞はしばらく続いたけれど、次第に解消されていった。ところどころにあったスペースで休憩する人がでてきたためだ。ようやく自分のペースで進むことができる。
 そうしてマイペースで順調に進んでいたけれど、山頂に近づくにつれ難しいことも多くなる。下は岩場になり、水が流れて滑りやすい箇所もあるし、ロープにつかまってよじ登らなければならない箇所も多くある。
 『地球の歩き方』には道が整備されてあるとあったので、エスカレーターか動く歩道のどちらかはあるかと思っていたのに。
 体力的にも辛くなってくる。空気が薄くなっている影響か、単に疲労の問題なのかわからないけれど、少し進んだだけで休憩が必要になっている。
 ただ、噂に聞く高山病なるものには、かかるきっかけもつかめないまま問題なく終わりそうなのは幸いである。



 山小屋を出て2時間で、標高3,929mに到着。ここでスニッカーズを補給する。10年以上前のCMで、雪山でスニッカーズを食べている姿を見てからというもの、いつか山でスニッカーズを食べると決めていたのだ。


 10年越しの夢を叶えてからまた歩くこと40分。2011年9月6日午前5時26分。ついにキナバル山の山頂、標高4095.2m地点に到着した。
 一番高いところにある岩に座って、山頂を示す看板を眺めていると、Gisosがやってきて「よくやった。」と背中を叩いた。僕は立ち上がって、山頂の狭い岩場をぐるりと一周する。まだ空は暗い。
 僕はまた岩場に座り、山の麓を眺めていた。ここに来るまでの道のりを振り返り、周囲の人を眺めた。そして、思った。

 「暇だな。」

 狭い山頂に続々と登山者が詰めかけ、ある人は山頂で友人と記念写真を取り、またある人は恋人にプロポーズするビデオメッセージを撮影していた。一人でふらりとやってきた僕は、冷たい岩に腰掛けて、飲み会で浮いている時の懐かしい気持ちを思い出していた。







 やがて曙光が東の空を赤く染めはじめる。僕は30分以上も空の写真を撮り続けていた。







 空が明るくなり、山頂を示す看板の前も空いてきたため、僕は唯一の同行者である羊の写真を撮ることにした。看板の前にある岩に腰掛けて、足の上に羊を乗せて、写真を撮った。
 そのとき、横で写真を撮ろうとしていた誰かが、僕の足にぶつかった。
 羊が腿の上から転がり落ちる。しかし、すぐ下の岩の間に挟まって止まっていた。僕はほっとしてその隙間に指を滑りこませる。そしてその指が羊に触れた瞬間。
 羊、さらに落下。
 もはやその姿を確認できないところまで落下した羊。動かせる岩をいくつかどかしてみたけれど、その姿を見つけることができない。
 NYで捕獲し、チェコクロアチアモロッコトルコエストニア、ラトヴィア、リトアニアと旅してきた羊と、キナバル山の山頂で別れることになろうとは。
 さらば羊。寒いかもしれないが、その羊毛でなんとか生きて行ってくれ。そして、山を汚してごめんなさい。







 羊と別れ、僕はゆっくりと山を下りはじめる。すっかり空も明るくなり、初めて山頂付近の様子を目の当たりにする。そこは想像以上に岩場であった。陽の光に照らされた岩肌が織りなす階調は綺麗で、眼下に広がる緑との色調もまた美しい。







 目を楽しませながら降りはじめて30分、あることに気づいた。下りは相当つらい。
 一歩一歩下るごとに前腿の筋肉に大きな負担がかかり、これを繰り返すのがかなりこたえる。『チャレンジホビー!~あなたもこれから山ガール』で、下りのほうが事故が多いと言っていたのもうなずける。
 上りで壊れるのはアクセルだけれど、下りではブレーキが壊れてしまうのだ。



 前腿を震わせながら下りること1時間半。山小屋に帰ってくる。Gisosに90分後の9時半に再度出発することを告げて、いったん小屋へ。



 食堂で朝食を。星型のシリアルがおいしい。牛乳は多分スキムミルクだ。
 部屋に戻って、荷物を再びバックパックに詰める。今さら洗濯物が乾いていた。ペットボトルに水を補給して、再出発まで30分ほど寝る。

 9時半。山小屋をチェックアウトし、下山再開。心がけることは2つ。小さな歩幅で歩くことと、周りの風景を楽しむこと。









 苔の写真を撮りつつ歩いていると、Gisosが声をかけて茂みの方を指さしている。そちらを見ると、ウツボカズラを発見。奥まったところに咲いていたため、Gisosがいなければとても気が付かなかっただろう。下りになって突然ガイドとしての使命に目覚めたGisosに感謝したい。





 途中で、食料をかついで登る人々とすれ違う。彼らのおかげで山小屋は3000m以上の高地にありながらとても快適(シャワーを除く)に過ごすことができるのだと思うと頭が下がる思いだ。一方で、ごく小さな荷物を背負った登山客と、大量の荷物を背負ったポーターともすれ違う。色々な登山の形があるものだ。



 繰り返すけれど。下りは本当に辛い。山小屋を出てから2時間。階段を1段降りるごとに、前腿がちぎれそうになる。実際、結構な数の筋繊維が切れているはずだ。
 上りでは通り過ぎていた休憩所で何度も休憩しながら、足がつらないよう細心の注意を払ってゆっくりと歩を進める。
 残り2kmを切ってからは、これまでの上り下り全ての工程を足しあわせたよりも長く、辛く感じた。歩くだけでこれほど多くの筋肉が使われているとは思わなかった。

 僕より後に出発した人々に追いぬかれながらも、12時50分、山小屋を出てから3時間半で再び登山口に戻ってくることができた。

 登山口から車でビジターセンターに戻る。車代50ドルを請求されても支払ってしまいそうなほど疲れていたけれど、帰りは無料だった。
 ビジターセンターでは何の手続きもなく、ごくあっさりとGisosとも別れる。熱い抱擁の一つでもあるかと思ったけれど、お互いに何の得も無いので、きっとなくて良かったのだろう。



 行きにお弁当をもらったレストランへ行き、ビュッフェをいただく。カロリーが体に染み渡る。
 キナバル公園を出て、バスでコタキナバル市内へ。こうして僕のキナバル登山は終わりを告げた。



 コタキナバルで夕日を眺めながら、僕はこの登山について考える。山に登る前の自分と、登ったあとの自分で何が違うのだろうか。
 人生観は変わっていないし、煩悩は溢れんばかりにあるし、特に男前になった様子もない。それでも僕は山に登った。そしてその記憶がある。

 地獄のように冷たいシャワーに、無闇矢鱈に星を散りばめたような空に、空を自在に塗り替える曙光。それらを抱えて僕は山から下りてきたのだ。
 下山の途中、登山証明を発行する場所があったけれど、僕はそれを断った。僕が山に登ったことについて、誰にも証明する必要なんて無い。ただ僕だけがそのことを知っていれば良いのだ。ブログに書くなどもってのほかだ。

 人は手ぶらで生まれ、そして手ぶらで死んでいく。でもその頭には無数の記憶が詰まっている。たとえ思い出せなかったとしても。



 そして、生きているうちはお腹が空くものだ。

 おしまい。
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