2012年9月3日(月) ドゥーラン
これまで色々なところを旅してきて、沢山の美しいものを目にし、その20倍くらい汚いものを見てきたけれど、アイルランドの朝ほど美しい風景はそうそうない。
緑色の大地に朝陽がオレンジ色のベールをかける。その中にぽつりぽつりと白い家が建ち、牛がのそりのそりと草を喰む。
アラン諸島へ向かうフェリーは朝10時に港を出る。宿の近くにあるインフォメーションでチケットが買えるようなので、8時半へそこへ出向きチケットを求めた。
インフォメーションのカウンターでは、恰幅の良いオヤジが小さなコーヒーをすすっていた。
「ええと、一番大きい島へのチケットを1枚。」
「イニシュモア島だな。学生か?」
「いや。」
「そうか……、いや、学生だな。往復で20ユーロだ。」
「ありがとう。」
「車で来たのか?」
「いや。歩きで。」
「そうか。ここから港までは歩いて25分くらいかかるぞ。この道を真っ直ぐ行って右だ。9時半くらいには着いておいたほうが良い。」
「なるほど。島まではどのくらいかかるかな?」
「90分くらいだな。」
「わかった。ありがとう。」
チケットを受け取り、カウンターを離れようとしたところで呼び止められる。
「ちょっと待ってろ。港まで車で送ってやる。」
「いや、でも。」
「遠慮するな。」
有無を言わさず巨体を揺らして車のキーを取りに行くオヤジ。
僕も慌てて宿に戻り、荷物を担ぐと、オヤジの車に乗り込んだ。
「どっから来た? 日本か。なんでアイルランドに来たんだ? イギリスじゃないのか?」
オヤジのマシンガントークを被弾しながら港まであっという間に到着。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
笑顔で去っていくオヤジ。
オヤジの思わぬ親切心に心が暖まる一方で、風が吹き付ける港はそれなりに寒い。体が冷えてきた所に、小雨もぱらつく。船の出港まであと1時間半。おのれオヤジめ。
10時前にやって来たHAPPY HOOKER号に乗り込んだときも、小雨が降っていた乗客は30名ほど。西欧人は元気に外の席を陣取り、僕は屋根のある屋内でしばし寝る。
HAPPY HOOKERがその名に恥じない激しい上下運動を繰り返すので、船酔いになりつつも何とかこらえ、イニシュモア島に到着したのは11時半。
港ではバスツアーやレンタサイクル、馬車の客引きが威勢よく声を上げていた。
僕も何件かあるレンタサイクル屋の一軒で自転車を借りて、ペダルを漕ぎだした。
イニシュモア島に何があるかと言えば、何もない。わずかばかりの家と遺跡が幾つか、そして崖があるだけだ。けれど、それがむしろ貴重なのだと思う。
情報や文明が恐ろしい速さで伝播する現代においては、何もないことは自然な状態ではない。自然に任せていたならば、コンクリートやアスファルトが押し寄せてきて、あっという間に街を飲み込んでしまうだろう。
何もない状態に留めておくことは、ある種の不自然であり、作為である。そしてそこに価値を見出すことができる。
「俺は都会で便利に暮らしたいけれど、田舎の暮らしはどうかそのままで。」
ドン・エンガスは島の南岸に位置し、イニシュモア島一番の見所と言って良い。ドン・エンガスは2,000年以上前に造られたとされている要塞の遺跡であるが、まだ未解明のことが多い。そもそもエンガスが誰なのかもよくわからないらしい。その状態で名付けてしまう思い切りの良さは評価したいと思う。
多くの観光客にとって、関心の的はドン・エンガスそれ自体よりも、この遺跡がある切り立った崖にある。船越英一郎も垂涎の断崖絶壁。そこには柵も何もないため、自由に羽ばたくことができるDIVE TO BLUEなスポットとなっている。
ドン・エンガスを後にして、島を大回りして港へと戻る。濃い霧のなかを自転車で走るのは本当に気持ちが良かった。一人でニヤニヤしながら坂を駆け下りる姿は、誰かに見られたら通報間違いなしだっただろう。
港の近くにあるホテルでお茶をしてから、フェリーに乗る。ただし、ドゥーラン行きではなく、北に向かうロッサヴィール行きだ。
チケットは往復で買っていたけれど、HAPPY HOOKERの縦ノリに90分付き合うのはしんどかったので、急遽予定を変更したのだ。
イニシュモア島からロッサヴィールまでは約40分。船もドゥーラン行きより大きくて揺れも少なかったので快適な船旅であった。
ロッサヴィールからゴールウェイに行くバスを探す。
船から降りた人の流れは左右に分かれていた。右手にはバスが立ち並んでいるのだけれど、どれもツアーバスのようで、皆チケットを見せてバスに乗り込んでいる。
通常のバスは左手なのだろうと考え、左の流れに乗る。乗るっきゃないと思っていたこのビッグウェーブだったが、5分ほど歩いたところで駐車場に到着。皆自家用車に乗り込んでいく。これはまずい。
念のため、実家の車が迎えに来ていないか確認してみたけれど、残念ながらHONDAのLIFEは来ていなかった。
駐車場のプレハブにいた白ひげの爺さんに、ゴールウェイ行きのバスはどこから出るのかと尋ねてみると、やはり港を出た右側のバス停に停まっていたらしい。果たして今から戻って間に合うか。
爺さんが「どれどれ」といった感じで道路に出たので付いて行くと、まさに乗客を乗せたバスがこちらに向けて走ってくることであった。
爺さんはバスに合図して停めてくれ、おかげで僕は無事バスに乗り込むことができた。爺さんありがとう。
そして戻ってきた、ゴールウェイの懐かしい街並み。今夜の宿は『歩き方』に載っていた「Ashford Manor」だ。
街の中心から歩くこと10分。フロントで完全に初対面のオヤジに「また来たのか」と別のアジア人と間違われつつもチェックイン。
Ashford ManorはいわゆるBed & Breakfast(B&B)で、個室&朝食付。この旅初めての個室。静かだし、トイレにいくのに貴重品を携帯する必要もなく、非常に快適。もう相部屋生活には戻れないかもしれない。
部屋は大きなダブルベッドが一つ。バス・トイレ付きで、電気のスイッチが柱にめり込んでいる。「押せれば良いだろ」という、アイルランドの匠の思い切りが感じられる。
夕食は宿でおすすめされたレストラン「The Bridge Mills」へ。
Monk Fishが何かわからないまま頼んだアンコウのリゾットはチーズの香りが良くて大変美味しい。でもきっとアイルランド料理ではない。
デザートを食べながら、明日の予定を立てる。
旅行前に立てた予定ではダブリンに戻ることになっているが、ダブリンが都会過ぎて琴線に触れないため、南のほうを周ってみることにする。
明日は南部の「コーク」へ向かう。
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これまで色々なところを旅してきて、沢山の美しいものを目にし、その20倍くらい汚いものを見てきたけれど、アイルランドの朝ほど美しい風景はそうそうない。
緑色の大地に朝陽がオレンジ色のベールをかける。その中にぽつりぽつりと白い家が建ち、牛がのそりのそりと草を喰む。
アラン諸島へ向かうフェリーは朝10時に港を出る。宿の近くにあるインフォメーションでチケットが買えるようなので、8時半へそこへ出向きチケットを求めた。
インフォメーションのカウンターでは、恰幅の良いオヤジが小さなコーヒーをすすっていた。
「ええと、一番大きい島へのチケットを1枚。」
「イニシュモア島だな。学生か?」
「いや。」
「そうか……、いや、学生だな。往復で20ユーロだ。」
「ありがとう。」
「車で来たのか?」
「いや。歩きで。」
「そうか。ここから港までは歩いて25分くらいかかるぞ。この道を真っ直ぐ行って右だ。9時半くらいには着いておいたほうが良い。」
「なるほど。島まではどのくらいかかるかな?」
「90分くらいだな。」
「わかった。ありがとう。」
チケットを受け取り、カウンターを離れようとしたところで呼び止められる。
「ちょっと待ってろ。港まで車で送ってやる。」
「いや、でも。」
「遠慮するな。」
有無を言わさず巨体を揺らして車のキーを取りに行くオヤジ。
僕も慌てて宿に戻り、荷物を担ぐと、オヤジの車に乗り込んだ。
「どっから来た? 日本か。なんでアイルランドに来たんだ? イギリスじゃないのか?」
オヤジのマシンガントークを被弾しながら港まであっという間に到着。
「ありがとう。」
「どういたしまして。」
笑顔で去っていくオヤジ。
オヤジの思わぬ親切心に心が暖まる一方で、風が吹き付ける港はそれなりに寒い。体が冷えてきた所に、小雨もぱらつく。船の出港まであと1時間半。おのれオヤジめ。
10時前にやって来たHAPPY HOOKER号に乗り込んだときも、小雨が降っていた乗客は30名ほど。西欧人は元気に外の席を陣取り、僕は屋根のある屋内でしばし寝る。
HAPPY HOOKERがその名に恥じない激しい上下運動を繰り返すので、船酔いになりつつも何とかこらえ、イニシュモア島に到着したのは11時半。
港ではバスツアーやレンタサイクル、馬車の客引きが威勢よく声を上げていた。
僕も何件かあるレンタサイクル屋の一軒で自転車を借りて、ペダルを漕ぎだした。
イニシュモア島に何があるかと言えば、何もない。わずかばかりの家と遺跡が幾つか、そして崖があるだけだ。けれど、それがむしろ貴重なのだと思う。
情報や文明が恐ろしい速さで伝播する現代においては、何もないことは自然な状態ではない。自然に任せていたならば、コンクリートやアスファルトが押し寄せてきて、あっという間に街を飲み込んでしまうだろう。
何もない状態に留めておくことは、ある種の不自然であり、作為である。そしてそこに価値を見出すことができる。
「俺は都会で便利に暮らしたいけれど、田舎の暮らしはどうかそのままで。」
ドン・エンガスは島の南岸に位置し、イニシュモア島一番の見所と言って良い。ドン・エンガスは2,000年以上前に造られたとされている要塞の遺跡であるが、まだ未解明のことが多い。そもそもエンガスが誰なのかもよくわからないらしい。その状態で名付けてしまう思い切りの良さは評価したいと思う。
多くの観光客にとって、関心の的はドン・エンガスそれ自体よりも、この遺跡がある切り立った崖にある。船越英一郎も垂涎の断崖絶壁。そこには柵も何もないため、自由に羽ばたくことができるDIVE TO BLUEなスポットとなっている。
ドン・エンガスを後にして、島を大回りして港へと戻る。濃い霧のなかを自転車で走るのは本当に気持ちが良かった。一人でニヤニヤしながら坂を駆け下りる姿は、誰かに見られたら通報間違いなしだっただろう。
港の近くにあるホテルでお茶をしてから、フェリーに乗る。ただし、ドゥーラン行きではなく、北に向かうロッサヴィール行きだ。
チケットは往復で買っていたけれど、HAPPY HOOKERの縦ノリに90分付き合うのはしんどかったので、急遽予定を変更したのだ。
イニシュモア島からロッサヴィールまでは約40分。船もドゥーラン行きより大きくて揺れも少なかったので快適な船旅であった。
ロッサヴィールからゴールウェイに行くバスを探す。
船から降りた人の流れは左右に分かれていた。右手にはバスが立ち並んでいるのだけれど、どれもツアーバスのようで、皆チケットを見せてバスに乗り込んでいる。
通常のバスは左手なのだろうと考え、左の流れに乗る。乗るっきゃないと思っていたこのビッグウェーブだったが、5分ほど歩いたところで駐車場に到着。皆自家用車に乗り込んでいく。これはまずい。
念のため、実家の車が迎えに来ていないか確認してみたけれど、残念ながらHONDAのLIFEは来ていなかった。
駐車場のプレハブにいた白ひげの爺さんに、ゴールウェイ行きのバスはどこから出るのかと尋ねてみると、やはり港を出た右側のバス停に停まっていたらしい。果たして今から戻って間に合うか。
爺さんが「どれどれ」といった感じで道路に出たので付いて行くと、まさに乗客を乗せたバスがこちらに向けて走ってくることであった。
爺さんはバスに合図して停めてくれ、おかげで僕は無事バスに乗り込むことができた。爺さんありがとう。
そして戻ってきた、ゴールウェイの懐かしい街並み。今夜の宿は『歩き方』に載っていた「Ashford Manor」だ。
街の中心から歩くこと10分。フロントで完全に初対面のオヤジに「また来たのか」と別のアジア人と間違われつつもチェックイン。
Ashford ManorはいわゆるBed & Breakfast(B&B)で、個室&朝食付。この旅初めての個室。静かだし、トイレにいくのに貴重品を携帯する必要もなく、非常に快適。もう相部屋生活には戻れないかもしれない。
部屋は大きなダブルベッドが一つ。バス・トイレ付きで、電気のスイッチが柱にめり込んでいる。「押せれば良いだろ」という、アイルランドの匠の思い切りが感じられる。
夕食は宿でおすすめされたレストラン「The Bridge Mills」へ。
Monk Fishが何かわからないまま頼んだアンコウのリゾットはチーズの香りが良くて大変美味しい。でもきっとアイルランド料理ではない。
デザートを食べながら、明日の予定を立てる。
旅行前に立てた予定ではダブリンに戻ることになっているが、ダブリンが都会過ぎて琴線に触れないため、南のほうを周ってみることにする。
明日は南部の「コーク」へ向かう。
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